当地(小松谷)は昔、小松内大臣・平重盛公の別邸(小松殿)で、四十八の灯籠を点して念仏行道された所処であったが、平家没落の後、九条関白兼実公の山荘となった。兼実公は月輪御殿造営の時、宗祖法然上人のためにこの地にお堂を建て、上人を招き、法談を聴き、ついに建仁2年(1202)剃髪出家された旧跡である。法然上人は建久9年(1198)、兼実公の願いにより「選擇本願念佛集」を著述し、鎮西聖光房にお渡しになる。また元久2年(1205)上人が病になられた時、兼実公は聖覚法印に命じて病の治癒を祈らせたと伝えられている。兼実公の師事とともに、上人にとって小松谷は最もご縁深き遺跡である。しかし、上人は弟子の住蓮房・安楽房の罪により、流罪の身となり建永2年(1207)75歳の老齢でこの地から配所四国に出立されることとなる。
その後、応仁の兵乱によりこの地も廃絶していたが、江戸時代の正徳年間(1711~1715)に知恩院の義山大和尚や、その弟子の慧空和尚により再興されることとなる。慧空和尚の熱意は月輪殿下の子孫である九条家を感動させ、享保20年(1735)同家の河原御殿の一部をいただき本堂とした。今の大師堂がこれである。後、延享・宝暦年間にわたり阿弥陀堂・山門・鐘楼などが完成し洛東名伽藍の一つとなった。
本堂に安置の法然上人の肖像は、配所四国よりお帰りの時、記念として自作の像を信者に遺されたものが讃岐の幕臣黒川氏より京都黒谷の法春庵に送られ、当御坊再建の時、夢のお告げに感じてここにお迎えした上人自作の乾漆像であると伝えられる。左脇檀の月輪殿下九条関白兼実公の像は当御坊大檀那の由緒から、九条家安置の像を賜ったものである。
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第14番 清涼山光明真言院 正林寺
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